1952-05-28 第13回国会 参議院 法務・内閣・地方行政・労働連合委員会 第2号
先ほど申上げました先づ民戰の組織活動についてでありますが、戰後結成されました旧朝連はいち早く在日共産主義者らによつてその指導権を握られましたために、しばしば占領政策違反や暴力主義的活動に出でたことによりまして、昭和二十四年九月八日団体等規正令によつて在日本朝鮮民主青年同盟と共に解散の指定を受けたことは御承知の通りであります。
先ほど申上げました先づ民戰の組織活動についてでありますが、戰後結成されました旧朝連はいち早く在日共産主義者らによつてその指導権を握られましたために、しばしば占領政策違反や暴力主義的活動に出でたことによりまして、昭和二十四年九月八日団体等規正令によつて在日本朝鮮民主青年同盟と共に解散の指定を受けたことは御承知の通りであります。
○大橋国務大臣 昨年の九月八日に団体等規正令によりまして、在日朝鮮人連盟のいわゆる朝連及び在日本朝鮮民主青年同盟いわゆる民青が、反占領軍的暴力主義団体として解散指定せられたのでございますが、当時両団体の構成員は在日朝鮮人中の約半数を占めておりました全国的な組織であつたのでございます。
○田中(堯)委員 この請願の要旨は、昭和二十四年九月八日、団体等規正令によつて解散を指定された在日本朝鮮人連盟、在日本朝鮮民主青年同盟の財産として、自家用乘用自動車三台が接收されたのでありますが、右は便宜上同団体の所有物となつていますけれども、事実は請願者外二名の所有物であります。
第一にお伺いいたしたいのは、朝鮮人連盟並びに朝鮮民主青年同盟、これが団体等規正令に基いて解散させられたのでありますが、この解散についての理由に関しては新聞などにも報道されておりますが、たとえばこれらの団体が反占領軍行為をしたとか、暴力主義の是認をするような事実があつたとかということをあげておるのでありますが、まずこの点について具体的にその事実をあげ、さらにそれを裏づけるところの証拠を第一番に伺いたいと
又民青、即ち在日本朝鮮民主青年同盟は朝連と同樣中央に中央総本部があり、各都道府縣に本部が置かれて、更に本部の下に支部、分会が置かれておるのでありますが、この本部の数は四十八ケ所、支部は四百五十一、分今は二百六の多きに及んでおるのであります。特別審査局におきましては、解散措置といたしまして、朝連、民青のそれぞれの中央総本部に対しましては総裁名義の解散指定通知書なるものを持参しております。
○菅家證人 六月二十八日の朝午前十時朝鮮民主青年同盟石城支部湯本分会の朴重根という者が、きのう平に應援に行つたことについて署長に面会していろいろ聞きたいことがあるから行くという電話がありました。それでそうかと言うて待つておりました。午後の三時に行くという電話でしたが、三時より遅れまして、三時五十分ごろ今申し上げました朴重根、共産党石城支部委員長鈴木光雄ほか一名の者、三名が参りました。
それから朝鮮民主青年同盟石城支部湯本分会と申す團体がありまして、これの方は青年男子八十五名、皆合せまして二百二、三十名いると思います。
○李証人 大日本朝鮮民主青年同盟中央総本部の中央機関紙であります。そうして在留朝鮮六十万同胞の耳を啓発し、またあらゆる行動を示す唯一の機関紙である。
それに次いで北鮮もソ連の擁護によつて独立したのでありますが、その微妙な空氣がそつくりそのまま國内の朝鮮人の各團体に現われておりまして、御承知のように北鮮を代表するものとして朝鮮人連盟、朝鮮民主青年同盟それから南朝を代表するものとして居留民國及び建國促進青年同盟の二つの陣営に分れておりますが、この対立がしばしばやはり手を付ふなければならない不法行爲を生み出しておるのであります。
これは朝鮮人連盟中央総本部、朝鮮人教育者同盟、朝鮮民主青年同盟、朝鮮人民主女青同盟、学校管理委員会、技術家協会、文学者協会その他を含めた対策委員会であります。この代表であります崔君、その他朝鮮人連盟の教育部の元君等と数次に亘つてこの問題についてお話をいたしたのであります。
四月十四日午後二時ごろでありますが、在日本朝鮮民主青年同盟委員長ほか約三十名の者は、教育部長に対し学校明渡しの反対陳情をなすべく縣廳を訪問しました。